以前、紹介しておきましたNHKの「わたしが子どもだったころ」の『作家・あさのあつこ』さんの回の放送が2009年9月28日(月)にありました。
あさのさんは、大まかこう言われていました。
あさのあつこさんが10代の少年少女の物語を描き続けているのは、
あの頃にしようとしなかったこと、
避けてきたこと、
逃げてきたこと
を今やっている。思春期を生き直しをしている。
それをやったら、大人の物語が書けるのかな、そっちに行けるのかなと思っています。
ストロングも含めてですが、小説を書かない私達親は、子育てをするときに「自分の子どもだったころ」を振り返って生き直しをすると思うんです。
その結果、ガキの頃、自分ができなかったこと、やれなかったこと、避けてきたこと、逃げてきたことなどなどを思い返し、我が子にはそれをやってほしいと願う。
また、自分のした過ちや悔悟を子供たちには味あわせたくない。
たいていの親はそう思うと思います。
ただ、あさのさんと私達親が違うのは、あさのさんはご自身が「生き直し」をしていますが、私達親は自分ではなく、「我が子」で生き直し」をしようとしているんじゃないでしょうか?
自分たちが生きてきた環境や経済状況や当時の価値観や時代の流れがあったわけですが、それらは無視して、
あのとき、ああしておけば・・・
あのとき、こうであれば・・・・
という思いだけを取り出して、その思いだけを我が子にぶつける。
我が子の人生で「親の思春期の生き直し」をしようとしているんじゃないか。
しかし、我が子には我が子の現在の環境や経済状況や価値観や時代の流れが当時とは違う形で存在している。
それらを抜きにして、「わが青春の悔悟や後悔」を押し付けられても子供は困ると思うんです。
親ができなかったことを子供に託すのは自然な感情として、でももし託すならば、「思い」だけではなく、当時の環境や経済状況や価値観や時代の流れや風潮も含めて子供に話してやらなければ子供にはわかりません。
そして、それをしようとするなら、どうしても親自身が「自分が子どもだった頃」を振り返り、少なくとも一度や二度は「生き直し」を頭の中ででもしっかりしてみないといけない。
しなければ、子供にも語れないですから。
また、親自身が自分の思春期を「生き直し」を真剣にしてみると、結果としてうれしい思い出や苦い思い出もそれに至る過程というものも思いだされるはずです。
子供に伝わるのは結果としてこうだったとかああだったとかではなく、その結果に至る過程の「うじうじした思い」や「ぐずぐずしてしまった心情」なんじゃないでしょうか。
それを抜きにして、「勉強したら将来の役に立つよ!」なんて言ってみても、子供の頭には残りはしない。
子供にいくら言ってもダメなんです・・・・
という方は、ぜひ我が思春期を生き直してみてほしいと思います。
記憶や写真や親との話から、辿りにたどって「そのときの気持ち」までさかのぼってみる。
そしたら、子供の気持ちがわかりますよ。
そして、辿ってみると、今の自分を振り返ってみたときに、
「当時はイヤだったけど、厳しくしてもらって良かった」
と思えることがいくつも出てくるのではないでしょうか?
ぜひ我が人生の思春期の生き直し、子育ての参考にするためにやってみてください。
自分に向き合った人がイイ子育てができると思いますから。
「孫子」第10地形編4にこういうのがあります。
(将軍が兵士を治めていくのに)兵士たちを赤ん坊のように見て
(万事に気をつけていたわって)いくと、それによって兵士たち
と一緒に深い谷底(危険な土地)に行けるようになる。
兵士たちをかわいい我が子のように見て(深い愛情で接して)い
くと、それによって兵士たちと生死をともにできるようになる。
(だが、愛していたわるのは良いとして)もし手厚くするだけで
仕事をさせることができず、かわいがるばかりで命令することも
できず、でたらめをしていてもそれを止めることもできないので
は、たとえてみれば、おごり高ぶった子供のようなもので、もの
の用にはたたない。
現代語訳は金谷治岩波文庫より
受験への諦めの声が多く出始める折、受験期の親の方が身にしみて思わなくてはならないことではないでしょうか?
受験の子供たちだけではありません。
中学生や小学校低学年だって「かわいがるばかりで命令することもできず、でたらめをしていてもそれを止めることもできない」では、今後の人生も前途多難ですから・・・・
カギは「思春期の生き直しにあり!」
ストロングはそう思っております。
2009年10月1日のメルマガより